55歳ごろ、1歩踏み出そうと思ったのは、欲が出てきたから。
もっと自分を表現したい。もっと羽ばたきたい。もっと人の役に立ちたい。もっと学びたい。もっと違う世界を見たい。もっと豊かになりたい。もっといい車に乗りたい。もっと家をきれいにしたい。楽器が弾けるようになりたい。美肌になりたい。美髪になりたい。美体形になりたい。茶道を習いたい。ヨガを習得したい。マイナス10歳は若くみられたい。夫と日本の美しいところを旅行したい。たぶん、もっとあったはずだがこれくらいしか思い出せない。
赤裸々だが、そんな欲が湧いてきた。その歳で無理だよねーと思う欲もあるが挑戦するのは自由。
普通に考えて55歳にして、遅くない?だと思うがいろいろな条件がかみ合った時期が私の場合55歳ごろであったわけで。
その欲を満たしたい、達成したいとおもった。今やらなきゃ、体力的にも気力的にも間に合わないかも。ギリギリの所かな。まだ今なら、意欲がある。多くを学びたい意欲がある。
ぜんぜん自分を追及してないし。ぜんぜん自分の可能性に挑戦しきってないよ。何しに生まれてきたんだ目的は何。わたしまだやることあるよね。もっと誰かのお役に立ちたいのに。と、胸が張り裂けそうになった。
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私の人生このままでよいのかと、自問自答し始めていた。
その時はなにか、がんじがらめになっていて1歩が踏み出せないでいた。
言い訳を言えばいくらでもでてくる。大概ひとや環境のせいにしていた。今から思えば、出口のない長いトンネルを毎日毎時間同じルートを走っている列車のようであった。
いままで事件はいくつかあったが多くの方の力を借りて何とか乗り越えてきた。楽しいことも、苦しいこともたくさんあったが経験出来てよかったと思っている。
会社員として、妻として、母として、自分で選択した路の役割を自分なりに努力をしながら生きてきたと思う。
自由といえば自由ではあったが、規制があった。常識の範囲の規制である。当然の規制である。
いまでも、規制はある。でもそれで家族や様々なコミュニティでバランスが保たれている。規制から外れる気持ちはない。必要であるから。
規制を保ちつつありながら、欲がむくむくと湧き出てばくはつしそうであった。
そしてとうとう初めの1歩を踏み出した。
エステシャンへの路へと模索し始めた。欲から踏み出したのがエステシャンへの路。
今思えば、私の欲がほぼ全部叶うのがエステシャンになることであった。
計算していたわけではないが、計算されていたような感じになっている。
欲を持つのは良いことだと思う。自分を肯定したり、成長させるエネルギーの素になる。
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